勾留中、弁護士から「理屈ではそうだけど現実は実際こうだよ」と言ったセリフを多数聞くことになります。理屈とは法律に書かれてる通り、という意味です。
例えば、法律上は被疑者を留置所に勾留する可否を判断するのは裁判所となっていますが、実際には勾留許可率は100%に近く判断もクソもありません。現実は勾留請求をする警察や検察の意向がそのまま反映されるという点で、法律に書かれている理屈とは違うわけです。
目次
法律には書かれていないけど起こること
以下で刑事事件でよくある、そんなこと法律のどこにも書かれていないけど、過去の判例や慣例からそうなっているものをいくつか紹介します。
量刑は起訴された事件以外も考慮される
法理屈では裁判官は起訴された事件のみを見て量刑の判断をするべきです。起訴されていない事件は裏付け捜査もされてないので事実認定ができませんし、そもそも裁判の対象になってない事件が考慮されるのはおかしな話です。
例えば余罪が多数あった場合でも全て逮捕される訳ではありません。余罪で逮捕されるのはせいぜい2、3件です。あとは余罪についてこういう自白してますよという参考程度にまとめられ、その事実については捜査されないのが普通です。
余罪について全て再逮捕しないのはキリがないからやってられないということ、何度も逮捕するのは人権侵害だというのが主な理由です。
余罪が3件の人と100件の人が同じ罪の重さではおかしいので、そりゃ100件の方が重いというのが通常の判決です。でもその100件の大部分は逮捕・起訴すらされていない事件です。それが量刑に加算されるのは理屈では説明できないのです。
黙秘は当然相対的に不利に扱われる
被疑者、被告には黙秘権や供述拒否権があり、それらを行使したことを不当に扱ってはならない、と法律に書いています。黙秘しても不利になりませんよということです。
そんなわけありません。黙秘しているということは話したくないこと、話せないことがあると捉えられます。
当然黙秘状態では起訴後の保釈も認められないことが多く、情状酌量もなく執行猶予がつく見込みも少なくなります。これで「不利に扱っていない」とはさすがに言えないでしょう。罪を認め嘘や演技であろうと反省することが有利すぎる現実があり、それに対して黙秘は明らかに不利に扱われます。
裁判は有罪か無罪を争う場ではない
裁判と言えば無罪か有罪かを争うのが本来の役目で最も重要な事項だと思われがちですが、現実は違います。
検察が起訴して裁判になった時点で99.9%有罪になります。そして裁判官はいつも通り検察の求刑の7~8割の量刑で判決を下します。日本の裁判所は検察の認証機関に成り下がっているのが現実です。
判例に従う、判例が全て
検事や裁判官にとって最も重要なのは法律ではなく判例です。前はこれで有罪にしてるから今回も有罪、前はこれでこの量刑だったから今回もこれくらいで、と言った感じです。
判例に従いなさいという法律はありませんが、司法自体そうなっており判例を覆すような判決を期待するのはまず無理だと思った方がいいでしょう。
司法の現実は弁護士から聞くべき
慣例的にこう、だとか、現実はこう、みたいなことは法律書を読んでるだけでは分かりません。司法の現場を経験して、そうなんだとわかるものです。
警察、検察、裁判所の慣例なり、現実なりは弁護士がよく分かっているはずなので、法律ではこう書いてありますけど現実はどうなんですか?といった質問をぶつけていくことが有効になってきます。